植木鉢
シュンラン、春蘭。
はじめてシュンランに出会ったのは、50年ほど前の早春の多摩丘陵でした。弟とギフチョウを探しに行った時です。ギフチョウの食草のカンアオイもその時知りました。その花は、それまで思い抱いていた一般的な花とはまったく異なる姿、形をしていて、なんだか、違う世界に、未知の世界に迷い込んだような気がしました。その次に出会ったのは、新宿のデパートでした。黒い三つ足の細長い鉢に植えられ、整然ともったいぶって陳列されており、たいそうな高値で売られていました。その後、それらは中国産の、東洋ランと呼ばれる古典園芸植物だと知りました。それを栽培すれば、たちまち大人になれるような気がしました。もしかすると仙人になれるのではないかとも思いました。それをきっかけに、東洋ラン、盆栽、山野草等、そして植木鉢とのつきあいが始まりました。仙人にはなれませんでしたが、植物とのつきあいは今だに続いていて、ようやく 最近ほんの少し彼らの言葉がわかるようになりました。そして、「この星は植物たちの星です。ここでは人間は自由に生活することを許された客です。自由に生活することを許されているとはいえ、客は客なりにふるまわなくてはなぁ~」と、学びました。だから、もっと彼らの知恵を知るためにとは詭弁かもしれませんが、そんなつもりで、植木鉢 を、彼らの住居?あるいは衣服?を、作り楽しんでいます。「野にあれ野の花」と言います。「鉢に植物を植え付け、束縛するのは、人間の身勝手」と言われます。それが、そう言われることが、私は嫌です。でも、我慢します。明日は、来春に植え替えるつもりのシュンランのための手作りのセメント製の 植木鉢 に色を付けようと思います。
玉 SEED
作品。
「作品」と、自分の作ったものをそう呼ぶのは好きではありません。自分自身を「芸術家」とか「作家」とか「彫刻家」と称するようで、おかしな感じがします。「私は芸術家です」って、「私は作家です」って自称するのは、とてもあやしい。でも、「私は彫刻家です」なら、まあいいかなぁ~。また「作家の作る作品」と「作」が重複するのも気になります。でも、他に「作品」にかわる良い言葉がないからしかたがありません。とりあえず、私は「彫刻家」で、私が作るものは「作品」ということにしましょうか。作品は、作り終わってから名前を付ける場合と、作る前に名前やテーマを思いついて作る場合とがあります。「peach baby」や「precious little baby boy」や「persimmon tannin kid」などは前者です。「かんがえる」や「おめでたいよう」や「おもいで」は後者です。「夢をつかめ」や「学問のすずめ」や「いかさま」もそうです。でも、いつもそんな、ダジャレた作品ばかりを作っているわけではありません。ふだんは、何の変哲もない少し歪な球体を作っています。何の変哲もない少し歪な球体を繰り返し作っていると、頭の中にさまざまなイメージが「雑草」のように湧いては消え、消えては湧きます。そんな湧いては消え、消えては湧くイメージは「雑想」なんだなぁ~と思いました。だから、何の変哲もない少し歪な球は「雑想の種」=「雑草の種」なのかなぁ~と思いました。英語でいえば「SEED OF WEED」なのかなぁ~と思いました。それで、その決まりきった変哲のない少し歪な球を SEED と名付けました。
2009
雑想 WEED
「雑想」= 「雑草」= 「WEED」には具象的な物とそうでないものがあります。具象的な物は誰にでもわかる形ですから、大衆的すなわち popular = POP として、そうでないものはそのまま WEED として区別しました。「雑想」には、おもしろいものとおもしろくないものが入り混じっていて、玉石混淆ですが、玉でも石でもかまわず、忘れてしまわないようにスケッチしておきます。気分しだいで、玉より石のほうが美しいと思える場合もあるからです。美術品より路傍の石ころのほうが美しいと思える場合もありますよね。
名も無きも 自由気儘に 旅するに 何をか思う 路傍の石ころ
名花より雑草のほうが美しいとも思える場合もありますよね。
名も無きに 今日を気楽に 生く草の なお美しや 花もて笑う
2009
経歴 プロフィール
夜更かししてまで、こんなことをしていると、気の迷い?ってこともあったりして、やっぱり、自分の IDENTITY = 肩書きは、はっきりさせておいたほうが良いのではと、彫刻家かそうでないかの違いとは何かと思った り考えたりして、
彫刻家の資格?条件?属性?とは、
某美術学校で学び、彫刻学士の修了証書を持つ。 某美術学校で教壇に立つ。 某彫刻公募展で賞を受ける。 某美術館に作品が収蔵される。 某美術団体に所属する。 芸術院会員に登録される。 某彫刻家に師事する。 某美術雑誌、美術年鑑に掲載される。 某画商の後援を受ける。 教科書に掲載される。 作品集が出版される。そんなことよりも、それだけで生活できているかどうかだろうな。いや、そんなことよりも、そうすることが何よりも好きってことなんだろうな。
2009
径 PASSAGE
2009年12月23日、今日で、生まれてからちょうど60年が過ぎました。この国の人たちの共同幻想にしたがうと、「還暦元年」の新しい一日が始まりました。残り少ない年月はどうなるのだろうかと、時にはしんみりと思ったりします。年寄りには、昔は良かったなぁ~と言うのも、厳しかったなぁ~と言うのも、たやすいことです。年寄りは、良かったことも厳しかったことも任意に選び出すのに充分な過去を持っているからです。若者は選択に余りある未来を持っています。新しい時代つまり未来はいつの時代も若者が作るものなのですから、年寄りの過去と若者の未来の質量は同じだといえます。若者が、年寄りの作った時代に育ったように、年寄りは、これから若者の作り出す時代に生きていくのですね。これまでのやり方を傍らに置いて、子たちに耳を傾ける時が来たように思います。
子曰、 吾十有五而志于学、三十而立。 四十而不惑、五十而知天命。 六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。でも、年寄りには、避けては通れない厳しい問題があります。「死」です。いつかは死ぬものだとわかってはいるのですが‥、死ぬのはなぜか嫌ですよね。でも、理は理、無理は嫌でも 無理なのです。そこで、どのような死を迎えるかを考えなくてはなりません。「どんな景色を見ながら死んでいくか」が一番の問題なのだと思うのです。人は死に際に走馬灯のように過去を夢見るといいます。人の意識は脳の深層部に生まれ、表皮部分で生き、再び深層にまで戻って消滅するのではないかと思います。だから、深層部から表皮部までに蓄えられた太古から現在までの記憶を、人は死に際に走馬灯のように見るのではないかと思うのです。それは、道を歩くようにではないかと私は思うのです。その道を歩くと何が見えるのでしょうか。私は何を見ながらその道 = PASSAGE を歩きたいと思っているのでしょうか。日の光を映す雲、闇に流れる月、私が育てた草たち‥。死に際にその道を歩きながら見えるのはこんな景色だったらいいなぁ~と、私は思うのです。クーッ!‥‥泣けてきちゃう。
2009
人 NET
石で作品を作りたいなと思ったら、私は浮田隆司さんにお願いします。岡山県万成東町に「万成石」の山元をしておられます。高松にある彫刻家イサム・ノグチさんの墓石はここから出した野づらの玉石なのです。浮田さんが子どもの頃そこで制作していたイサム・ノグチさんの膝に抱かれたことなど当時の生の様子を話してもらえます。万成石は日本唯一のさくら色の花崗岩で、とても美しい石です。
粘土で作ったものをブロンズにしたいなと思ったら、私は廣瀬敬二さんにお願いします。武蔵野美術大学彫刻科卒で、山梨県武川町にブロンズ美術鋳造の工房を営んでいます。私のブロンズ作品はすべて彼に鋳造していただいたものです。ちなみに「柴又の寅さん像」は彼の鋳造作品だったりします(原型制作は吉田穂積さん)。2010年8月13日に急逝されました。とても残念です。とても悲しいです。とても寂しいです。
作品のしっかりした写真を撮っておこうと思ったら、私は達川清さんにたのみます。かつてずいぶん多くの写真を撮ってもらいました。これからもそうできたらいいなぁ~と思っています。「銀板写真こそ写真」と、そのスタンスを変えない正統の写真家です。奥さんはアコーディオン奏者です。
何か生活の道具が必要になったら、田中洋二さんにたのみます。杉並区荻窪で創業60年以上の古道具商を兄弟で営んでいます。30年程前に一緒にトルファンに旅しました。先日は健康のために素振りをしたら良かろうと野球のバットがお店に入ったら連絡してくださいとお願いしました。
昔、石の添景物等を作っていただいた石彫家八木ヨシオさんは長野県原村にアトリエをかまえてられます。日本の「石彫シンポジウム」の先駆者で、オーストリア、カナダ、アイルランド、モロッコ、トルコ、ラトビア等の国際石彫シンポジウムに参加されています。柿生からそちらに引っ越されてからはおうかがいしてませんが、近々、真っ白な頭髪にくったくのない笑顔とたき火とコーヒーを、きっと‥、と思っています。料理上手な奥さんの加藤敦子さんはアクセサリー彫金作家です。
浅井義泰さんはランドスケープデザインのエキスパートで、1980年代そのお手伝いをさせていただきました。今はどこかの大学で教鞭をふるっていらっしゃるようです。調査研修旅行の写真をその度ごとにメール通信していただいています。とても勉強になります。
田端優子さんは女流彫刻家で、素敵な女性像を乾漆で作っています。詩も絵もまた素敵です。山梨県上野原にアトリエがあります。彫刻家木内岬さんの研究室で修学しました。木内岬さんに紹介していただいて、1986年に品川区の三ツ木公園に子どもの彫像を作ってもらいました。年に1、2度の個展を私は首を長くして楽しみにしています。
有田武生さんは、ギターをかた時も離さないシンガー・ソングライターです。今日も高円寺の稲生座でのソロコンサートの案内メールが来ました。彫刻家井手則雄さんの娘さんの井手ほう子さんから造形大学彫刻科の1年先輩なのと紹介されてから、もうかれこれ40年になります。1989年の多摩中央公園でのイベント「voice of stone」の企画、運営、CD制作に協力していただきました。国立市にお住まいです。
彫刻家吉田昇さんと初めてお会いしたのは、どこでだったかは覚えていませんが、石彫家・三上浩さんと行動を共にしていらした頃ですから、20年程前になりましょうか。石川県七尾市のお生まれで、金沢美術工芸大学 彫刻科を卒業されています。今年の年賀状に「 新春 2010 年を新住所で迎えます。夕景、山々、夜景、星も月もなかなか良いです」とあり、群馬県赤城山にお引っ越しなさったことを知りました。竜ヶ崎 N.T.の作品「おもいで」の制作に協力していただきました。
Mark Surman さんとは、荻窪駅前にあったデイブさんのお店「 DAVE'S LIBRARY 」で知り合いました。オーストラリアのブリスベンにお住まいの photographer です。その時、思い出にと南浦和の作品「さかなかな、なかなかさ」を撮影していただきました。Mark さんの撮る女性はいずれもとても魅力的です。ぜひ HP で、ご覧になってくださいまし。
平松清房さんはランドスケープ・デザインのかたわらピザやパンを焼く石窯の研究をしています、村おこし等のイベントで多くの人と出来たての石窯で出来たてのピザを食べるのは極上と。信州大学で講師をしていらっしゃるのではなかったかしら。事務所は杉並区和泉にあります。私は1980年に品川区民公園の噴水制作のお手伝いをさせていただきました。
ポランは多摩市落合の「みどりとくらし研究所」の運営する画廊で、私も2006年に個展をしました。主宰する峰岸久雄さんは多摩ニュータウンの「緑のまちづくり」に力をそそいでいらっしゃいます。品川生まれの江戸っ子でお祭りが大好きな方です。1980年頃、横浜市緑区の「中村自然クラブ」に参加したのは私の楽しい思い出です。
「インターデザインアソシエイツ」は太一君が学びつつ働いている建築事務所です。渋谷区桜丘町にあります。終の宿は彼に設計してもらえたらなぁ~などと夢見ています。
そんな方々のwebsiteや mail を NETの ページ に保存することにしました。元気かなぁ~、どうしているかなぁ~、と思ったら、すぐに訪問できるように、それぞれがネットの結び目として、互いに訪問しあえるように、それぞれが夜空にきらめき、手を取りあって星座を結ぶ、星々「おほしさまズ」のように。「有朋自遠方來、不亦樂乎」「温故而知新」などと呟きながら。
2009
言葉 WORD
墨を磨って筆で文字を書く
真っ白な紙面に墨がおりる
緊張はするものの清く快い
私の好きな言葉のかたちは
私の選んだ言語の意味さえ
私の好きな人へ送る恋文か
道を往く時の流れのような
はかなく淡い夢見るような
思いか望みか願いか祈りか
なんちゃってお習字をする
ホームページ CG
私が無料のHPの登録をしたのは2008年5月24日でした。あっという間にもう2年がたちました。何年か前、オーストラリアのマークさんから電話で、PCメールアドレスを聞かれたので、それまではPCには手を付けまいと思っていましたが、電話代や互いの都合等のこともあるから、やむなく本当にやむなくメールアドレスを主人のPCに持つようになりました。それを彼に伝えると直ぐにメールが来たので、重要でも急ぎの要件でもなかったのですが、PCってけっこう便利なものだなぁ~と思いました。そのメールに彼のHPのURLが添付されており、そこからダイレクトに彼のHPに訪問できて、彼の仕事ぶりが瞬時に見てとれて、HPもけっこう便利なものだなぁ~と思いました。それで、私も体験版でHPを作ってみることにしました。はじめは、名刺代わりにHPを有効利用できればいいなと思い、昔の仕事や自作の植木鉢や庭の花等の写真を掲載してみたりしていました。
そのうち、PCは一つの新たな表現手段なんだと思うようになりました。だから、HPに掲載することを目的に作品を作るようになりました。すると、HPは簡単で経済的な、作品発表の場なのだと思うようになりました。だから、HPを魅力的で有効なものにすべきだと思うようになりました。だから、毎日毎晩、記事の追加、修正、削除等をしていると、
他人に見てもらうというよりも、HP自体が自分の作品だと思うようになり、今までの自分を、これまでは何をして来たのだろうか?今からの自分を、これからは何をすべきなのだろうか?、などと思うようになりました。でも、もちろん答なんて出るはずはありませんが。とりあえず、今は、ただ、ひたすら、HP掲載目的で作品を作り続けていこうと思っています。あいかわらず、無料のHPではありますが。それで、時々、 computer graphics を楽しんだり、それを作品の下絵にしたりできるようになりましたとさ。
詩 POEM
詩なども書いたりします。
おはようございます
今日は良い天気ですね
そうですね
寒くなりましたね
そうですね
お元気ですか
元気です
どちらへお出かけですか
ちょっとそこまで
さようならお気をつけて
またお会いしましょうね
なんて、書いたりします。
詩は、端的に言えば、感情表現なんだろうけれど、そうとばかりは言えないから、これは詩なんだと思いこむのが肝心なんだろうなと思っています。